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咀嚼をやめさせる医療の問題 体験記

■ 脊椎圧迫骨折入院が寝たきりの始まり
 ことの始まりは義兄の脊椎圧迫骨折入院です。入院2ヶ月余り後に骨折は治った、と退院になりましたが介護度4でほぼ寝たきり状態です。自身にも持病を抱えた妻(私の姉)はひとりでは手に負えない、と自宅のある大阪南部の住居近くの有料老人ホームへ入所させました。その施設では昔ながらの寝かせつけの介護で、排泄もベッド上です。私は広島から大阪へ出張のたびに義兄の入所する施設へ行き、竹内先生の自立支援介護理論を姉に説明、指導しました。施設スタッフの協力も得てトイレ排便、食事は椅子に座って自力摂取できるようになり、自力で立ち上がるまで回復しました。
 ここで、一番苦労したのは意外にも下剤を止めることです。排便がトイレでできるようにするには下剤に頼らない自然排便が必要です。そのためには水分摂取と排便のトイレ誘導です。これで3週間後には2~3日に1回排便が可能になりました。そこで便秘が解消したと施設を通じ下剤中止を主治医にお願いしました。しかし聞き入れられません。施設は主治医の指示がなければ下剤をやめることができないと頑なです。それなら薬は飲まなければ済むことですが、施設入所ではそれも難しく、この調整に家族は苦労しました。

■ 気になる「噛めない入れ歯」の問題
 下剤の問題を抱えながらも回復し、ほぼ自立して家に帰れるか、と期待していましたが、一つ問題がありました。それは入れ歯です。義兄は前歯上下の7本を残してあとは上下顎とも入れ歯です。
 この問題も以前から気になっていました。本人は食欲もありその入れ歯でもなんとか食べていました。しかしよく観察するとしっかり噛んでいるのではなく、数回噛んでは丸呑みでかなりの早食いです。そのことが気になって施設の歯科医師に相談しました。そして、入れ歯調整をしてくれましたが一向によくなりません。本人に聞いてもこんなもんだろう、と諦め気味です。そんなときに、河原先生のセミナーで部分入れ歯もリマウント調整法で可能と知り、その歯科医に河原先生のセミナーを勧めました。しかし、なかなか応じてくれません。そこで、新大阪で開業の南清和先生に相談しました。すると快く応じていただけ、往診の予定が決まりました。

■「噛める入れ歯」の義歯調整直前に誤嚥性肺炎で緊急入院
 その直後事態が急変です。楽しみにしていた往診の数日前、高熱を出して入院してしまったのです。肺炎でした。その数ヶ月前にもう一つ残念なことがありました。義兄の妻、私の姉が夜間に転倒、大腿骨骨頭骨折で救急入院、10日余り待たされての手術の後、数ヶ月で回復、退院しました。しかし、持病が悪化その年末に亡くなったのです。手術を待たされたことが持病に大きなダメージを与えたのではと悔やまれます。
 義兄が肺炎での入院はその翌年の5月です。その後肺炎は治りましたが寝たきり状態で、吸痰が必要となり、中心静脈栄養と鼻腔経管栄養になりました。しかし、鼻腔栄養は本人が拒絶。それではと胃ろうが提案されました。姉がなくなった後は会社勤めの長男夫婦が県外に在住で、病院と医療処置などについてやり取りしています。延命治療の代表的な例として胃ろうは当時マスコミでも話題になりその長男は胃ろうはしないでほしいと意思表示しています。そこで、中心静脈栄養の他、ベッド上で体幹角度を30度に傾斜させ、流動食を昼食時のみ経口摂取となりました。
 その食形態と提供方法は病院の嚥下造影検査の後決定されました。このような医療的処置が必要な状況では元の老人ホームにも帰ることはできず次の転院先を探すことになりました。これらの医療処置についてはその後の転院先へそのまま引き継がれます。

■ 療養型老人病院での一日一度のペースト食
 次の転院先については選択肢も複数あるわけではなく、病院のケースワーカーが紹介する義兄の自宅から遠くはない隣接する市の介護療養型病院になりました。その病院では、1年程度の余命とほのめかされ、終末期の処置を条件に家族は転院を了承しました。
 受け入れ先がここしか見つからない状況で決断をせまられ、受け入れるほかありません。 その転院の状況を私は後に知ることになります。転院後、その病院に見舞いに行くと以前の寝たきりとは違って目を引いたのはスタンドに吊るされた中心静脈栄養の輸液剤でした。これでほとんどの栄養を得ているのです。そして、介助をしてくれる言語聴覚士(以下、ST)が出勤平日の昼食のみの流動食が口から食べられるものです。そのSTの介助でペースト食をベッド上で体幹角度を30度に傾斜させての食事です。義兄は説明を受けながらそのペースト食をスプーンで口へ運んでもらっています。そのことになれたように女性の声掛けに従って口を開けます。「お粥です」「これは鶏肉.のてりやきですよ」「これは白菜の和え物です、美味しいですか」の声かけに「美味しい」と応えています。
 STは「もぐもぐしましょう」とスプーンで口に送り込むたびに言います。この日のメニューは鶏肉の照り焼き、炒め煮、白菜の和え物、ムースです。すべて、その日の献立それぞれをミキサーにかけてペースト状にしたものです。そのようなペースト状のものを口に入れられて、「もぐもぐ」と云われ噛んでみようとしても甲斐のないことです。STの女性もそのことは百も承知で言っているのでしょう。人は口に食物が入ったとき、その形状を舌と上顎で察知して噛むか、舌で潰すか、そのまま飲み込むかを決めています。ペースト状であれば軽く舌で潰して飲み込むことになり、噛んだりはしません。噛むためには、そして噛む練習をするためには普通の食事が不可欠だと先の竹内先生が言われます。そして、普通の食事の咀嚼によって最も安全な食塊が形成され安全な嚥下ができるとも言われます。

■「噛める入れ歯」の義歯調整でうな重をしっかり咀嚼して4ヶ月ぶりの食事
 咀嚼ができないペースト食などは即刻やめ、普通食をしっかり噛んで食べる、それもベッド上ではなく、そのひとに合った椅子に座って、踵をしっかり床につけて良い姿勢で、自分で食べる。そうすれば、もとの元気を取り戻す。そのためにも肺炎で中断した入れ歯の調整をしてもらおうと義兄の息子から病院へ歯科の訪問診療の了承を取付けました。
 9月に病院で南清和先生の義歯調整となりました。上下ともに部分床義歯だったのでリマウント調整するためには口腔の上顎、下顎の型をとる必要があり、手数のかかる調整ですが、南先生は見事に短時間でそれを実施されました。その間、義兄は車椅子に座って1時間以上横で待っていました。そこまでの体力と意欲がある状態を診て働きかけることもなく、検査の数値のみで処置を決する病院の問題に大きな疑問が残ります。
 調整後入れ歯は口に戻されました。そしてフードテストです。いなり寿司、巻き寿司はしっかり噛んで食べます。以前のように適当に噛んで丸飲み、ではなくしっかり咀嚼して味わっていることが見て取れます。肺炎で入院以来4ヶ月以上こんな食事はしていないのですから無理もないことです。それに加え、噛み心地もいいのでしょう。いかにも味わっているというようす。ひと口30回以上噛んでごっくんと飲み込みます。その時の本人の満足した笑顔が印象的です。
 ごっくんと嚥下したあと南先生に促され出す声を聞いてみても問題ないクリアな声です。咳払いもしっかりしています。
 フードテストの最後は南先生が特別ご用意されたうな重です。「うなぎは久しぶりですか」と南先生が問いかけられると義兄は「ええ」と答えるのももどかしく、口まで運ばれるうなぎを一心に見つめていました。口に入るや存分に味わうようにしっかり噛みしめます。

■ しっかり咀嚼した食事の様子を見ても頑なに変えない医療方針
 この様子をビデオに収録し、主治医に見せたところ食い入るように見ていました。南先生が「これだけしっかり咀嚼をされれば嚥下は問題なさそうです。ぜひ常食を食べさせて上げてください。これだけ咀嚼がしっかりされれば常食こそ何より安全な食塊になります。」とおっしゃると、その主治医はしばらく考えて、「これはたまたまのこと、これで常食にすると決めることはできません」そう言ってその場を立ち去りました。
 普通の食事にしてしっかり栄養を取ることができれば確実に回復する、そんなケースは「前歯でも噛める入れ歯研究会」でもたくさんあります。竹内先生も、常食で咀嚼の訓練をし、咀嚼を回復できれば嚥下はついてくると言われています。そして、常食を取り戻して看取りから自立した症例がたくさん出ている。それは医者がやるのではなく、介護がやっている、と竹内先生が言われます。このことを是非主治医に理解して欲しいと思いました。
 この入れ歯調整の日まで、見舞いに行ったときに食事の介助をしてくれているSTとは何度か会って話もしていました。入れ歯調整後にその.STに電話で話を聞きました。すると、「主治医はだいぶ心を動かされていたようです」と話してくれました。その言葉を頼りに私はもう一度主治医に会って話そうと、訪問の予約をして数日後に会いました。
 しかし、話す前から主治医は結論を決めていました。「あなたが我々のやり方が悪いというのなら別のところを探してもらうしかない。看取りということを了解して入院しているのです。その方針が嫌と言うことはここを退院するということですか」そう云われて、「私にはそれを決めることはできません」と云って病院を後にするしかありませんでした。

■ 理解ある医師のもと、在宅医療という方法
 この場合、義兄をこのままにすれば主治医の言う通り1年ほどで亡くなるでしょう。義兄の回復の可能性があると思えるのならどうするのが良いのでしょうか。まずはこの病院を脱出することですが、重要なのはもちろんその後ですね。
 そこで考えたのは次の3つです。
①自立支援介護を取り入れ努力する高齢者施設へ入所する
②今の患者の状況を診て回復の可能性を見出し、受け入れてくれるリハビリ病院へ転院する
③在宅で医療を引き受けてくれる医師、訪問看護、訪問介護の事業者を見つけ自宅に戻る

①は医師と夜間の看護師の問題もあり受け入れ可能のところは少ない。特養の場合はそれ以前に入所待ちの状況で即応は難しい。
②のリハビリ病院についても摂食嚥下で前の病院と同じ診立てをする病院が多く回復の可能性は少ないと判定される場合が多い。
③は地域に見つけることができ、栄養摂取が中心静脈栄養管理から経口での栄養摂取が可能になれば中心静脈栄養から離脱ができる。

 現実には①は近くでは見つけることができず、②については可能性が高い病院が大阪の中部に見つけることができました。しかし電話での問い合わせでは、そこでも摂食嚥下の問題については現在の病院での判定がそうであれば当病院でもその判定が覆ることは難しいとの判断でした。しかし本人を連れそこで診断を受ければ可能性があると考えましたが、家族の負担を考えると難しいことでした。
 そこで一番の可能性としては③です。地元の訪問診療、看護関係者に問い合わせの結果、訪問診療の医師、看護は見つけることができました。姉がいて私が援助することで可能になる。これが最良の方法だと思いました。姉の死によってそれも無理と病院から脱出するのは諦めざるを得ませんでした。

 その後、家族には見舞いに行ったときには好きなものを食べさせてあげようと話し、私もその後の見舞いでは好きなおはぎを食べさせたこともありました。美味しそうに食べるのです。それもしっかり噛んで。それはそうです。先にも書きましたが、その後も病院では中心静脈栄養と、STが出勤の日のみ昼食をベッド上で体幹角度を30度に傾斜させペースト食が続いています。
 こんなことがまだまだ当たり前に行われているのが高齢者医療の現状です。
 咀嚼が回復すれば誤嚥を起こすことなく嚥下ができる。このことを高齢者医療に関わる医師が理解すれば多くの人を普通の食事に戻すことが可能になり、自立へ向かわせることができます。そして、その人の人生を救えるだけでなく、医療費の削減で国家の財政を救うことにもつながります。このことが高齢者の死亡原因の上位を占める誤えん性肺炎の減少にも大きく寄与するでしょう。
 咀嚼を取り戻せば口の健康が戻り、全身の健康を取り戻せます。高齢期には特に重要なことです。現在のコロナ禍にあっても、ウイルス感染のリスクを下げる効果もあります。このことが高齢者医療で当たり前になる日がくることを切に願います。
 病院ではその後も入院時の方針通り処置が継続され、義兄もこれで速やかに姉のもとに逝けると悟ったのでしょう。翌2019年4月に義兄は90歳の生涯を閉じ姉の元へ旅立ちました。

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前歯でも噛める入れ歯研究会(まえかめ)

「前歯でも噛める入れ歯研究会(まえかめ)」は、河原英雄歯科医師が導き出した義歯調整法の普及と研鑽のために立ち上げられた会で、河原医師から義歯調整法を学び、実践している歯科医師や歯科技工士たちによって運営されています。2018年8月、本会において「自立支援歯科学」を立ち上げました。
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